2015-12-13

プレイを簡単にする方法としてのボードゲーム化

カードゲームとボードゲームで同じゲームを遊べるとしたら、どちらが遊びやすいか?

という趣旨をネタにツイッター投票機能を初めて使ってみたところ、以下のような結果が得られました。ご回答ありがとうございました。


まあ、この話は置いとくとして、私はコネくり回されて遊びやすさを犠牲にしているカードゲームが嫌いで、過剰にコンポーネントを使ってでも遊びやすくデベロップされたボードゲームが好きです。・・・と言ったそばから、大きな箱は苦手だし、机にだだっ広く並べるゲームもあまり好きではないのでいきなり矛盾するのですが、その理由は置き場所とか、持ち運びとか、プレイスペースの確保とかが問題ということなので今は胸にしまうことます。(コネくり回されて遊びにくいカードゲームがどういうものでどこが嫌なのかという内容はネガティブなので胸にしまって触れないことにしました。)

遊ぶ環境まで考慮してゲームをデベロップすることは実際素晴らしいことです。ですが、「ゲームの面白さ」の方向で考えると、「持ち運びにくい」とか「広い場所が必要」とかは二の次で、まず「遊べたとしてそれが面白いのか」が重要になってきます。遊ぶゲームの選択肢がいくらでもある昨今では、それがより重要になると思うのです。

ゲームの面白さと一言で言っても色々あります。中でも私の場合は考えたり悩んだりすることから快感を得られるゲームが面白いと思っています。

その辺りの中身の議論については別の場所で触れるとして、その中身の面白さの一助となる要素が「遊びやすさ」です。間違いありません。

そもそもゲームは全て簡単であるべきです。「ちょっと複雑なゲームが良い」といった場合の複雑さとは思考の複雑さであって、ルールや処理の複雑さのことではないことは明らかです。

遊びやすくする工夫の一つにサマリーなどのプレイエイドを利用することが挙げられます。それらによってゲームが遊びやすくなれば、思考に集中できるようになったり、コミュニケーションに集中できるようになったり、もう一つ上の戦略や楽しみ方を検討したりすることができます。あ~このカードはなんだっけ、次の処理は・・・なんてしている間は脳みそがビジー状態で、リッチな思考が出来ません。

プレイエイドなどをコンポーネントとして取り入れるとどうなるでしょうか?そうです、極めて低コスト(※お金のことではないです)でルールを追加することができます。例えば、15点先取のゲームに得点トラックを導入することを考えます。得点トラックの良さは、コマの進み具合によって誰が優勢かを一目で判断できることです。そして、15点の所に「あなたがチャンピオン!」と書き入れます。ここまでがプレイエイドです。では13点のマスに「人気失墜!3マス戻る」と書いたらどうでしょうか?・・・面白いかどうかはともかく(!)、簡単にルールを追加することができました。あとついでにフレーバーも加わりました。

面白いかどうかはともかくと言いつつも、面白さを過大に評価してみるならば、「何かのエンジンをもって得点を効率よく稼いでいく」という元々のゲーム性に加えて、「ある点数にはならないようにコントロールする」という要素が加わったと期待できます。それがうまく元のゲームと噛み合うかは個別のケースに依ります。

もう少し得点トラックで遊んでみましょう。マスを丸い形にします(15点は四角のままにしておきましょう)。そして、マスの丸と同じ大きさで、裏表に「女子アナと結婚!3マス進む」とかがいっぱい書かれたタイルをマスと同じ数だけ用意してみたらどうでしょうか?・・・面白いかどうかはともかく(少なくとも私の好みからは外れました!)、初期配置としてマスにランダムに配置して波乱万丈すごろく風に遊ぶのだな~と予想がつかないでしょうか?

このように、遊びやすさの向上を目的としてコンポーネントを贅沢に使う(≒ボードゲーム化する)ことは、良いことです。具体的には、私が大好きなボードゲームがたくさん生まれる可能性が増えることにつながります。ですので、製作者のみなさんは是非やりましょう。

でも製作するとなると実際問題として、在庫の置き場所とか原価とかの問題が生じてすごくツラい部分もありますよね。ですからそこは、まあ、好きに作ればいいんじゃないでしょうか。なによりもフォーミーなものをどんどん作りましょう!ボドゲを製作するみなさんを応援しています。

Q.カードゲームとボードゲームの境界線はどこか?
A.そんなのは些細なことです.わかりません.

2015-12-05

何回遊ぶために購入するか?

このブログの話ですが、取り留めのない内容をダラダラ書き綴り、結論と思しきものは途中途中にちょこっと出てくる仕様なっており、しかも出てくる結論も言われるまでもない自明のものであったりします。これは私がそもそも結論を考えてから書いていないということと、思考の過程を大事にしていることによります。まあ、個人ブログなので私の満足するように書いているだけ、というのが全てなのですが。(公表前に構成をやり直せというのはもっともな話です。)

ボードゲームにおいても(ひいては色々な作品においても)、それに出会ってから、自分の中で「こういうものである」と結論付けするまでの思考する時間はとても重要だと思っています。それに付随する事例として、ボードゲームのインストでは「とうやったら強いのか」 、「どういう風に楽しむのか」といったことは教えないほうがよいという意見が聞かれます。相手に勝つ、相手と楽しむためのボードゲームにおいてその方法を教えてしまうことは、思考の体験(=楽しみ)の一つを奪ってしまいかねないからです。

ボードゲームを趣味とする界隈には、リプレイ派と非リプレイ派という人たちが存在します。派と書いてしまうと対立しているように捉えられるので、しばしば議論のネタにあがるのですが、おそらく明確に自身の属する派閥を意識している人は極少数で、そもそも趣味の話なのでそれぞれの派閥についてとやかく言うのは無粋でしょう。

リプレイ派(同じゲームを何度もプレイする人)の中にも二通りいて、「強い戦略をみつけるため」「繰り返し遊んで楽しむため」、という人(あるいはその両方)がいます。前者は、やはり結論を見つけるためにプレイすると言えますが、ほとんどの場合最適がみつからないため、その人が満足するまで追求したぐらいで(人によってはシステムの大枠やその動きがわかった程度で)いつしかプレイしなくなるのではないかと思います。そういう意味では非リプレイ派と本質的には同じかもしれません。後者は、ちょっと違っていて、「繰り返し遊んで楽しむため」にリプレイする人は、ゲームに対する考えなど、なにか実質的な進展がなくても繰り返し遊ぶため、本当の意味でのリプレイ派と言えそうです。

前者のリプレイ派のリプレイ理由はゲームが難解で、解き甲斐がありそうだからというのが一つです。後者のリプレイ派のリプレイ理由は何はなくとも純粋にプレイが楽しいからでしょう。これ以上の理由は必要ありません。しかし後者は極端なことを言えば、これ以上に楽しいものを見つけたらリプレイをやめてしまうということになりそうです。

これは結局どんなことにも当てはまって、完全なリプレイ派なんてよほど変な人か事情を抱えている人ということになるんじゃないでしょうか。呪いとか。

そういう意味ではリプレイ派と非リプレイ派と区別してもしょうがありません(そもそも地続きなのですが)。非リプレイ派が仮にいるとして、リプレイしない理由でもっともらしいものといえば、この世に無数のゲームがあるからやりつくすためには時間がいくらあっても足りない、同じものをやっている場合ではない、というのは現実的にありそうです。これもよほど変な人であって、ちょっと普通じゃありません(呪いを受けています)。

プレイヤーのタイプの話はおしまいにしましょう。結局、ゲームに依存するという話だからです。

話を戻して「何回遊ぶために購入するか?」です。各げーむについて、こっちは○○用、あっちは○○用、 遊ぶシーンによりけりで、購入することを考えると遊ぶ以外の付加価値(や障害)も基準に入ってきて非常にややこしい話です。一つの観点で言うならば、ゲーム自体の良さをコストパフォーマンスで捉えて、つまりどれだけリプレイしたいかということが重要な要素です。

じゃあ次の段階として、リプレイしたいゲーム、したくないゲームってどんなの?ということですが、一つはしつこい話、「ランダム」と「インタラクション」ということになると思うのです。毎回マップが変わる、手札が変わる、判定結果が変わる、そういう「ランダムによる揺らぎ」とか、他人の存在が自分の意思決定に影響するという「インタラクションによる揺らぎ」がリプレイ欲求につながるだろうとということです。

もう一つは、ゲーム内のストーリーやアクションから、ある種の体験が得られるかどうかということです。快感が得られる体験なのであれば人はそれを繰り返したいと感じます。これは麻薬的なリプレイ性です。生物的にはどちらかといえばこちらが根源的で、もう少しレベルを上げたのが前述した内容になるかと思います。これらは快楽ピラミッドみたいなもので表現されそうですね。しかし一方で、この根源的な欲求の充足はボードゲームから得なくても良くないか?という結論に行き着くと思うのです。(だから私は、もっと理性的な(レベルの高い)楽しみを味わうことができるドイツゲームが素晴らしいと感じているのです。)

まとめると、
  • 最適解を見つけるためのリプレイは本当の意味でのリプレイとは言い難い(解の探索過程)
  • ゲームに込められた「ランダムによる揺らぎ」「インタラクションによる揺らぎ」がリプレイ欲求につながっている
  • 人は結局快感には抗えないが、それは別にボードゲームじゃなくても良い(快楽欲求の充足)
という感じだろうか。どうやら私の興味はやはり「揺らぎ」がキーワードになるっぽいけれど、具体的にはどういうのがいいの?という所を追求しようというのがこのブログの趣旨なのでまだ答えはありません。

一方で、解の探索型、快楽欲求の充足型となるゲームとプレイヤーの関係も捨て置けません。解の探索型の関係はゲームに執着させるような魅力がなければ起こりませんし、快楽欲求の充足型の関係は上手くエッセンスを取り入れて魅力的に見せているんではないかと思います。

完全に余談だけれど、play:gameボードゲーム・データベースでは、
pgdbの総合評価はボードゲームギークとまったく同じ10段階の基準を採用しています。最高は10で1が最低になります。pgdbでゲームの評価を下す場合、下記の基準と照らし合わせて公平に行ってください。マイナス評価も良いと思います。ただし、不当な評価ひとつでゲーム全体の印象が変わってしまう場合が往々にして有ります。責任のある評価をお願い致します。なお、pgdbでは総合評価を集計する際にベイズ推定法を使っています。この方法はある一定の評価数が集まるまでは1票が全体平均に及ぼす影響が少なくなるようになっているので、評価数が集まれば、公平な評価が出る仕組みになっています。
10
秀逸。常にプレイ。その意思が変わることは絶対にないだろう。
素晴らしい。常にプレイしたい。
とても良いゲーム。進んでプレイしたい。他の人にも薦める。
良いゲーム。大抵プレイしたい思うゲーム。
平均的なゲーム。楽しく、遊びがいが有る。プレイするだろう。
平均的なゲーム。プレイしてもしなくても、どちらでもという程度。
あまり良くないゲーム。付き合いで遊ぶ可能性はある。
悪いゲーム。遊ぶことは無いが、 説得されれば遊んでも良い。
非常に悪いゲーム。絶対にプレイしたくない。
ゲームとしての定義を外れている。ゲームとして壊れている。
というように、「プレイしたいかどうか」を評価基準に定めています。これに関しては私も大賛成で、箱の作りだとか、大きさとか、ルールブックのわかりやすさとか購入するときの指標には色々あるけども、それらはほとんど1回目のプレイやプレイ以前、プレイ外の話であるので、その辺を取り去って「プレイしたいかどうか」を「ゲームの評価」とするのはとても良いと思います。

また、このガイドのいいところは点数付けの個人差がないところだと思います。いわばこれは点数評価ではなく、YES/NO回答形式なのであり、大は小を兼ねるように並べてくれているからです(減点法とか加点法とかそういうんじゃないのだ!)。並べ方が正しいかどうかは分からないけどね。

あ、もちろんパッケージやコンポーネント、プロモーションも大事ですよ。気持ちよく遊べる環境で、気持ちよく遊べるゲームを、楽しく遊んで、それからゲームについて考えたり話をしたりすることはとても楽しいです。総合的に楽しむためにはディレクションやディストリビューションも大変重要です。