2014-12-03

ランダマイザの話

ことドイツゲームに関しては、程よい運がポイントであると、これは前にも書きました。というよりこのブログのテーマでもあります。

ゲームを楽しむため、あるいはゲームの表情が豊かになるために欠かせない要素の一つが運なのであれば、プレイヤーは運によって生かされており、運を楽しんでいるといっても過言ではないでしょう。もちろん他の要素と複合的に楽しむわけですが。

ここで言う運というのは、プレイヤーの意思に関係なく訪れる偶然ということで話を進めます。

この偶然は別視点からみると、様々な形で規定されたルールのどこかの部分が確率を生成していて、それがゲーム中のあらゆる部分で運という形で姿を現したものであると言うことが出来ます。「確率を生成しているどこかの部分」を取り出し、モジュールとして捉えられたものをここでは一様に「ランダマイザ」と呼ぶことにします。

前置きが長くなりましたが、このページではランダマイザについてアレコレ書こうと思います。ただランダマイザも様々なレベルで無数に存在するため、個別の考察については別のページで行うことにして、ここでは外観を捉えるための整理をします。

例えば、レベル低いランダマイザの代表として、「コイン投げ」、「ダイスロール」、「ルーレット」などがあります。これらは、出目などの結果を確率として直接的に定義している装置です。

「カードドロー」、「タイル引き」は一般に結果の多いランダマイザでであり、一般に結果の多様性が徐々に減少し、各結果が起こる確実性が高まっていく(エントロピーが下がってゆく)性質があると言えます。その為、カウンティングという技術を磨くことによって正確な確率を読み取ることが出来ます。運だけでなく、技術も必要になることから、少しレベルの高いランダマイザと言えましょう。

すごく特殊なところで、「ジャンケン」は『究極の運ゲー』であるということから、ランダムの要素がないにも関わらず逆にランダマイザとして多くの場面で用いられます。究極的には様々な技量が結果に作用するとも言えますが、ほとんどの場面では一様な確率をもったランダマイザとして用いられています。

RPGにおける成功判定はダイスのロールによって行われることが多くありますが、ルールによって最大出目は絶対成功、最小出目は絶対失敗というように低確率に良い結果と悪い結果が担保されているものもあります。この低確率の担保はドラマを生むために重要で、例えば、モンスター○ァームやスパ○ボの攻撃命中確率(命中率の下限を1%上限を99%している)など、テレビゲームのシーンでも見受けられます。

運はプレイヤーにドラマを与えてくれます。ゲームに対してどこまでドラマチックな展開を望んでいるかによって、その人の運の強さへの許容範囲は変わります。運が強すぎてしまえば運ゲー、弱すぎてしまえばドキドキの足りない単調なゲームとラベリングされてしまいます。

冒頭に言ったように、運によってプレイヤーが生かされているとするならば、ゲームデザインにとってランダマイザの選択は非常に重要です。

少し別の話で、ボードゲームではアナログな処理(や体験)が含まれることから、全く同じ確率のランダマイザであってもゲームに与える印象が変わる場合もあります。例えば、人生ゲームにおいて1~10のルーレットを使わずに10面ダイスを使ったらどうでしょうか?きっと人生ゲームの全体の楽しさの半分近くが失われるのではないでしょうか。それは言い過ぎか。

一口にランダマイザと言っても、定義する確率だけでなく、コンポーネントを介した処理の方法など、様々な異なる要素が含まれます。それらをひっくるめてゲームごと、シーンごとに総合的に適したランダマイザの選別がボードゲームの楽しさを演出する上で重要になってきます。

ランダマイザの個別のページ(予定)では、様々なランダマイザをいくつかの観点から整理しながら理解していけたらと思います。
(なんかちょっと制作よりの話になりました。たまにあります。)

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